ダウ・ケミカル日本グループの歴代社長の評価・評判・口コミ

名前 評判・実績・評価など

ジャロッド・トラスラー

(Jarrod Trusler)

【期間】
2025年4月1日~

※史上最年少での社長就任。豪出身。豪法人から米本社の戦略チームに抜擢された敏腕エリート。

社長就任時の年齢

37歳

社長就任前の役職

米ダウの梱包&特殊プラスチック事業部の戦略リーダー

前任者の新ポスト

マクラウド社長は、米ダウの消費者ソリューションズ事業部欧州・中東・アフリカ・インド地域コマーシャル副社長に就任

出身地

オーストラリア

出身校(最終学歴)

豪ボンド大学(国際関係・国際ビジネス学士)

略歴

2012年、豪ダウ入社

2020年、ポリウレタン事業の欧州・中東・アフリカ・インド地域(EMEAI)製品マネジャー

2022年、米ダウ本社でアソシエイト企業戦略ディレクター

2023年、米ダウ本社の梱包&特殊プラスチック事業部の戦略リーダー

2025年4月1日、ダウ・ケミカル日本社長


パトリック・マクラウド

(Patrick McLeod)

【期間】
2022年7月1日~
2025年3月31日

※英国出身。ダウコーニング出身のシリコーン畑。

社長就任前の役職

ダウ・東レ会長兼CEO(継続し、兼務とする)

前任者の新ポスト

桜井恵理子氏は6月30日付で退任

人事の背景

桜井社長は60歳を過ぎた。大手の日本企業から社外取締役などのオファーが殺到していた。

出身校(最終学歴)

英インペリアル・カレッジ・ロンドン化学工学修士

略歴

入社以来、シリコーンビジネスに関わる

1987年、ダウコーニング(現ダウ・シリコーンズ)の英国法人入社

2006年、米ダウコーニング傘下のマルチベース社CEO就任

2016年、米ダウ・コンシューマーソリューションズ事業部ビジネスディレクター就任

2017年、米ダウ・コンシューマーソリューションズ事業部シニアグローバルビジネスディレクター就任

2020年、ダウ・東レ会長兼CEO

2022年7月1日、ダウ・ケミカル日本社長(ダウ・東レ会長兼CEOと兼務)

2025年4月1日、米ダウ・コンシューマーソリューションズ事業部EMEAI(欧州・中東・アフリカ・インド)地域コマーシャルバイスプレジデント

社長就任前の評判・口コミ

桜井前社長はマクラウド社長について「人柄に優れ、フットワークも軽く、人の言葉に耳を傾け、仲間を作りながら仕事を進める。リーダーシップも強く、安心して任せることができる」と語った。

社長時代の実績・取り組みなど

就任会見で、「成長への考え方をダウ・ケミカル日本内に醸成することが重点分野、課題の一つと位置付けている。従業員のマインドセットを変えていきたい」と抱負を語った。


桜井恵理子

(さくらい・えりこ)

【期間】
2020年8月1日~
2022月6月30日

【生まれ】
1960年11月16日

※初の女性社長。3人目の日本人社長。ダウのプロパー。博士号

別の漢字:櫻井恵理子

新型コロナウイルス感染症の流行という逆風下での就任となった。

社長就任時の年齢

59歳

社長就任前の役職

ダウ・コンシューマーソリューションズ事業部コマーシャルディレクター(日韓)およびダウ・東レCEO(代表取締役会長)

前任者の新ポスト

ジェニングス社長は退任

出身地

東京都

入社年次

1987年

出身校

東北大学大学院(心理学専攻)
※1987年卒業

略歴

1984年、東北大学卒業

1987年、東北大学大学院・文学研究科博士課程前期2年の課程(心理学専攻)修了

1987年6月、米ダウコーニングコーポレーション入社

1989年、トーレ・シリコーン(現:ダウ・東レ)へ異動

1999年、東北大学大学院情報科学研究科博士課程後期3年の課程(人間社会情報科学専攻)修了

2009年3月、東レ・ダウコーニングCEO(代表取締役)

2011年5月、米ダウコーニングコーポレーション リージョナルプレジデント-日本/韓国

2018年6月、ダウ・コンシューマーソリューションズ事業部コマーシャルディレクター(日韓)およびダウ・東レCEO兼会長

2020年8月1日、ダウ・ケミカル日本社長(ダウ・東レを含むダウ日本グループおよび韓国エリアを統括するプレジデント職を兼務)

2022月6月30日、退任

社長時代の実績・取り組みなど

米ダウが目指す姿として2019年に示した4つの要素を日本でも展開した。

「イノベーティブ」

イノベーションで大事なのはダウの製品や技術だけではなく、顧客ニーズを拾いながら世界の問題を解決することだとの考え方を示した。そのうえで、顧客とバリューチェーンパートナーと協力し、より良い明日を実現する素材とソリューションを創出することを目指した。

「顧客本位」

顧客が抱える課題を解決するソリューションを考案するとともに、簡単で楽しく、効率的な取引の実現に取り組んだ。「Easy」「Enjoyable」「Effective」の3つのEを掲げた。顧客と仕事をさせていただく時は、簡単で、複雑にならず効率的、楽しんで仕事ができることを目指した。

「サスティナビリティ」

2020年7月にイオンと締結したカーボンプロジェクト協定では、ダウの技術を使った食品の真空スキンパック包装をイオンの商品に採用し、店舗での食品廃棄物の削減とこれに伴う温室効果ガスの排出削減を目指す取り組みを進めた。

「インクルーシブ」

安全で健康、公平であること、そして自分の仕事に意味があると思えるかを毎年調査して、さらに良くするために何をすればいいのかを上層部、従業員同士でも話し合うという従来からの取り組みを継続した。

社外での役職

社外取締役

ソニー、三井住友フィナンシャルグループ、アステラス製薬、花王の社外取締役。


ピーター・ジェニングス

(Peter Jennings)

【期間】
2012年6月15日~
2020年7月31日

【生まれ】
1960年1月22日

※米国人。在任期間は史上最長となる8年

社長就任時の年齢

52歳

社長就任前の役職

米ダウ・ケミカル本社ハイドロカーボン・エネルギー事業部アシスタント・ゼネラルカウンセル

前任者の新ポスト

ディエゴ・ドノーソ社長は米ダウ・ケミカルのサーモセット事業部門副社長に

出身地

米ミシガン州

出身校(最終学歴)

米ウェイク・フォレスト大学院 法務博士修了
※1985年卒業

入社年次

1985年

略歴

1985年、米ダウ・ケミカル入社

1988年、太平洋地区担当カウンセル

2004年、機能性化学品およびサーモセット事業部門カウンセル

2006年、ハイドロカーボンおよびエネルギー事業部アシスタント・ゼネラルカウンセル(法務の副代表)

2016年、米ダウ・コンシューマーソリューションズ事業部ビジネスディレクター

2017年、米ダウ・コンシューマーソリューションズ事業部シニアブローバルビジネスディレクター

2012年6月15日、ダウ・ケミカル日本社長

2020年8月1日、退任

社長時代の実績・取り組みなど

人材育成

ダウ・ケミカル日本の次期社長を日本人から選び出すことを目標に社員教育を強化した。2012年に新入社員115人が入社したが、新入社員研修でダウの海外拠点で4カ月働くことを義務づけた。日本人社員が世界各地のダウ拠点で働けるようにして各国の文化を理解した人材を育てることに取り組んだ。

ブラジルでのバイオエタノール生産で提携した三井物産、リチウムイオン二次電池用電解液のグローバル生産で提携した宇部興産の実績をもとに、電池材料や水処理、建材などの分野で日本企業との連携を深めた。36カ国に197拠点を持つダウの国際網を生かして日本企業の海外展開の支援に力を入れた。


ディエゴ・ドノーソ

(Diego Donoso)

【期間】
2010年1月1日~
2012年6月14日

【生まれ】
1967年2月6日

※ブラジル出身

社長就任時の年齢

42歳

社長就任前の役職

サンパウロ(ブラジル)で中南米プラスチック事業を統括

前任者の新ポスト

ピーター・サイクス氏は、ダウ・ケミカル中国の社長に就任

出身地

ブラジル

出身校(最終学歴)

米国バブソン大学
※バブソン大学は1919年に起業家ロジャー・バブソンによって創立されたビジネス専攻に特化した私立大学。ボストン郊外の閑静な森の中にあり、その環境は日本では軽井沢に近い。

略歴

1991年、米国ダウ入社
主に中南米、欧州においてプラスチック事業の責任者として手腕を発揮してきた。

2010年1月1日、ダウ・ケミカル日本社長(ダウ・ケミカル韓国社長兼務)

2012年6月15日、米ダウ・ケミカルのサーモセット事業部門副社長

社長時代の実績・取り組みなど

「日本企業の高い要求に応えられれば、高いサービスソリューションを提供できる」との考えを持っていた。

グローバル展開するグループの力を活用し、顧客との関係強化を図った。

日本発の技術革新をグループ全体に伝達して事業発展につなげるための取り組みを行った。

アジア地域を最重要拠点と位置づけ、グローバル展開に対応した製品の開発を積極的に行った。

製品開発

2009年末に新設した上海の研究拠点を活用し、環境への対応を軸に地域のニーズをくみながらも、グローバルに展開できる製品を開発することを目指した。

建築関連

建築関連事業では既存建物の改修・改築分野に注力した。主力とする断熱材製品の省エネ性能をエンドユーザーやビルダーに訴求することで、新築向けの販売数量減を補うべく尽力した。

「スタイロフォーム」などの拡販

改修分野を中心に発泡ポリスチレン製の断熱材「スタイロフォーム」などの建材製品を積極的に拡販した。

東日本震災で被災した復興需要の対応

東日本震災で被災した復興需要の対応に尽力した。住宅やビル向けの断熱材であるスタイロフォームで貢献した。気密性が高く光熱費低減につながり、省エネに貢献した。発泡スチロールを盛土に用いることで土砂崩れで寸断した傾斜地の道路復旧や液状化地域の復興につながる製品の提供に取り組んだ。

被災地の福島県相馬市に「井戸端長屋」を寄贈

福島県相馬市馬場野に高齢被災者向け住宅「相馬井戸端長屋」を寄贈した。相馬市に工場を持っていた。木造平屋建て約850平方メートル、2LDK約40平方メートルの12室。総工費約1億6000万円。

相馬市内では震災によって、65歳以上の高齢者99人が1人暮らしになった。

井戸端長屋は「孤立死を防ごう」と長屋の人間関係に着目、1人暮らしの高齢者や老老世帯向けに将来の介護を視野に整備した。仮設住宅で暮らす高齢者が互いに見守ることで孤立を防ぐ工夫が施されている。

施設は、バリアフリー。昔の長屋生活で住人が井戸を共有したように、洗濯機は共用スペースに4台置き、待っている間のお茶飲み話用に畳を敷いた。広めの共同食堂でみんなで食事がとれるスタイル。ドノーソ社長は「個人と地域社会がほどよく交わる場。お年寄りが大事にされれば、若者にも安心感をもたらす」と語った。

趣味(社長就任時)

ダウで優れた多様性を育む

ブラジル出身だが、アルゼンチン、スイス、イタリア、日本と赴任地が変わった。そのたびに新鮮な気持ちで物事に触れ、多様な価値観を理解するようになったことが強みになっていた。


ピーター・サイクス

(Peter Sykes)

【期間】
2008年1月1日~
2010年1月

【生まれ】
1960年11月17日

※イギリス出身

ダウ自動車事業部門のトップから就任。

社長就任時の年齢

47歳

社長就任前の役職

ダウのグローバル自動車事業であるダウ オートモーティブ プレジデント(引き続き兼務)

前任者の新ポスト

神永剛社長は取締役相談役に就任

出身地

イギリス

出身校

米国スタンフォード大学経営大学院卒

略歴

1981年、ダウ英国入社。
その後、日本を含む多くの国々で財務、機能製品事業などで経験を積んだ。

1996年、ダウ・ケミカル・タイ社長
ダウとサイアムセメント・グループによる合弁会社の社長も兼務。

2004年から米ダウのアジア太平洋地域のプラスチック事業を担当。

2006年、米ダウ・ケミカル・パシフィックの「基礎および機能プラスチック事業」の担当副社長に就任。

2007年4月、米ダウのグローバル自動車部門(ダウ・オートモーティブ)のトップ(プレジデント)に就任。

2008年1月1日、ダウ・ケミカル日本社長(オートモーティブ プレジデントと兼務)

2010年1月1日、ダウ・ケミカル中国社長

社長時代の実績・取り組みなど

機能製品事業が日本に占める割合は売上高の85%で、合弁事業が成功していることに着目。機能製品事業に重点を置き、さらなる投資拡大により事業を加速させるべく経営を指揮した。

日本の主要企業の経営陣との関係構築に取り組んだ。

愛知県半田市への寄付

ダウ・ケミカル日本は2008年、愛知県半田市に窓ガラス飛散防止フィルムなど総額400万円以上を寄贈した。同社のピーター・サイクス社長と玉井良介ダウ衣浦工場長が2008年12月16日、榊原伊三半田市長を訪れ、目録を手渡した。ダウ・ケミカル日本は半田市で化学品工場を操業しており、1987年から防災対策資材などを寄贈している。

半田市は東海大地震の発生が懸念されており、ダウ・ケミカル日本は2004年から地震対策を特に支援。今回の寄贈では「窓ガラス飛散防止フィルム540本(18施設向け)」「窓ガラス飛散防止フィルムはり工事(6校、3児童施設)」「ピアノ転倒防止耐震機材設置工事(7台分)」「太陽光発電ソーラー外灯2基」を寄贈・実施した。

今回の寄贈で同フィルムの設置は市内の全教育施設48カ所で完了した。

これまでに半田市に対し、ハイブリッド発電機、ボランティア活動ユニフォームなどを寄贈したほか、山車の保存、花火大会などを支援していた。


神永剛

(かみなが・たかし)

【期間】
2002年1月~
2007年12月31日

【生まれ】
1945年

※2人目の日本人社長。プロパー。

国内市場攻略に闘志を燃やした。

社長就任時の年齢

56歳

社長就任前の役職

副社長(兼太平洋地区機能化学品事業本部長)

前任者の新ポスト

本多社長は2002年3月末まで取締役相談役として神永新社長との業務引き継ぎなどに当たる。その後退任

人事の背景

前任の本多社長が定年に達し、社内規定によって退任。

出身地

東京都

出身校(最終学歴)

東京都立大学(理学部)
※1968年卒業

新卒での就職先

1968年、日産化学工業入社。

入社年次

1971年

略歴

1971年、ダウ・ケミカル・インターナショナル(現ダウ・ケミカル日本)入社

1983年、ウレタン化学品・エポキシ樹脂販売部長

1989年、太平洋地域ポリウレタン事業部ビジネスマネージャー

1992年、三菱化成ダウ代表取締役副社長

1994年、住友ダウ代表取締役副社長

1999年、ダウ・ケミカル日本副社長

1999年9月、太平洋地区機能化学品事業本部本部長兼務

2002年1月、社長

2008年1月1日、取締役相談役

社長就任前の実績・評価・評判・口コミ

研究部門、事業部門、海外勤務など業務を幅広く経験してきた。太平洋地区機能化学品事業本部長として、親会社が買収した米国ユニオンカーバイドとの事業統合で中心的作業を担った。

社長時代の実績・取り組みなど

ユニオンカーバイドとの合併によって強化されたグローバル生産体制のなかから、最も安い原料を持ち込むことによって、日本市場における存在感を高めるための取り組みを行った。

趣味(社長就任時)

ゴルフ、読書


本多助重

(ほんだ・すけしげ)

【期間】
1994年6月~
2001年12月31日

【生まれ】
1941年(昭和16年)

※初の日本人社長。営業畑。社会人4年目に前身の「ダウ・ケミカル・インターナショナル日本支社」に転職してきたプロパー。役員定年までの7年半にわたり社長を務めた。

1974年の設立以来初めての日本人社長

社長就任時の年齢

52歳

前任者の新ポスト

前任のハリス社長は帰米

出身地

長野県出身、東京生まれ

出身校(最終学歴)

日本大学(農獣医学部)
※1964年卒業

入社年次

1968年
※現ダウ・ケミカル日本の前進であるダウ・ケミカル・インターナショナル日本支社に入社。

入社理由

「最小限のことは守るが、形式ばったこと、習慣にとらわれることがきらい」という性格だったという。そんな「型にはまりたくない」という思いが外資系企業を選ばせたようだ。

略歴

営業一筋

1968年の入社以来26年間、ほぼ一貫して営業畑を歩んだ。
香港勤務、名古屋営業所長などを経験。

1982年、機能化学品コマーシャル・マネジャー

1986年、営業担当取締役

1987年、副社長

1994年6月、社長

2002年1月、取締役相談役

2002年4月、退任

社長就任前の実績・評価・評判・口コミ

ハリス社長の右腕として営業部門を統括してきた。ダウ文化の翻案者の役割を果たしながら、ハリス氏が意図する日本企業としての体制・システムづくりに力を注いだ。

家族

徳川幕府の重臣の一つ、本多家の末裔。

妻と3女の5人家族

社長時代の実績・取り組みなど

日本での事業再編

ユニオンカーバイド日本の事業統合などを手掛けた。日本での事業再編成に着手。三菱化学とのウレタン事業を100%ダウの傘下に収める一方、荒川化学と水添石油樹脂で提携して欧州市場で展開。水添石油樹脂の技術を日本石油化学から買った。さらにグローバルベンチャーキャピタルと提携した。

特殊化学品、ポリエチレン、電子材料を重点化

特殊化学品、ポリエチレン、電子材料を重点化した。農薬についても、菱商農材への資本傘下によって拡大した販売チャネルを活用し、拡販につなげた。自動車関連では専門のセクションを置き、ポリプロピレン、ポリカーボネート/ABS樹脂アロイを中心にマーケティングを1998年から本格化した。

フレックスタイム制を導入

1994年10月から、全社的にフレックスタイム制を採用した。

勤務が強制されるコアタイムは午前10時半から午後2時半までの4時間。 所定労働時間は1カ月単位でクリアすればいい、という当時としては画期的な仕組み。

思い切った取り組みが評価され、国土交通省(当時:運輸省)などが主催する「オフピーク通勤大賞」に選ばれた。

人柄

典型的な下町の江戸っ子と自己分析。

座右の銘、モットー

「あわてない、怒らない、興奮しない」が信条。

趣味(社長就任時)

旅行、大相撲観戦、ゴルフ、テニス。


ジェイムズ・ハリス

(James W. Harris)

【期間】
1987年4月~
1994年5月31日

※国際畑。日本に駐在経験があり、妻は日本人。香港勤務も長かったアジア通。

正式名称はジェームズ・W・ハリス

1960年代後半から約10年間、東京、香港などパシフィック地区に駐在したアジア通。

社長就任時の年齢

49歳

社長就任前の役職

ダウ・ケミカルUSA化学品・金属事業部マーケティング・ディレクター

前任者の新ポスト

前任のE・W・ロジャース社長はダウ・ケミカルUSA特殊合成樹脂部のゼネラル・マネジャーに就任

出身校(最終学歴)

米セントピータース工科大学(化学専攻)

入社年次

1963年

略歴

国際畑

1963年入社以来、大半が国際畑。

1966年から10年にわたりダウ・パシフィック(本社・香港)に在籍。
各地で営業および企画開発担当の部長職を歴任。
この間の1974~1976年は、日本に駐在。農薬、特殊化学品の営業部長として東京に勤務した。

1976年、ダウ・ケミカルUSA有機化学品事業部の製品担当部長

1979年、ダウ・ラテンアメリカ地域化学品事業部長

1983年、ダウ・ケミカルUSA有機化学品事業部の企画開発本部長。
さらに、ダウ・ケミカルUSA化学品・金属事業部マーケティング・ディレクターに就いた。

1987年4月、ダウ・ケミカル日本社長

1994年6月、帰米

家族

妻は日本人

社長時代の実績・取り組みなど

事業を拡充

基礎化学品や機能性製品の輸入販売が中心だったダウ日本の事業拡充を進めた。

米国本社の対日戦略重視の意向を受けて、研究開発から生産、販売までの一貫した体制づくりを推進。

液状エポキシ樹脂工場や農薬試験研究圃場の新設など、「医薬品」「農薬」「ウレタン」「機能性樹脂」の新しい拠点づくりを進めた。

1989年、医薬品包装工場の建設着工。

ウレタン事業のグローバル戦略の一環として、MDI(三菱化成との合弁事業)の大型投資を計画。

1988年、ポリカーボネート樹脂で住友化学工業の子会社「住友ノーガタック」に資本参加(35%)した。

1990年代初めに計画している国内生産開始の時点で折半出資の構成とする段取りだが、双方の技術力を持ち寄って事業拡大への基盤固めを進める。

御殿場(静岡県)に次ぐ第2の研究拠点として、福岡県小郡市に農薬の試験圃場を開設。販売・マーケティングの事務所を開いた。

1990年にかけて、フナイ薬品とのネットワークづくりに取り組んだ。

「香港ー東京間」の強力なパイプを構築した。

趣味(社長就任時)

版画鑑賞、スキーなど多彩


E・W・ロジャース

(E.W.Rogers)

【期間】

1987年4月

※2代目

社長時代の実績・取り組みなど

製品開発研究所を増設

製品開発研究所(御殿場市)の倍増設に踏み切った。1987年7月から本稼働に入ったが、これで日本(および太平洋市場)のニーズに合った製品開発にさらに弾みがついた。